こんにちは。グランパこと池田光陽です。

2月に入りましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

もうすぐ節分ですね。

 

節分とは、文字どおり「季節の分かれ目」。

暦の上で季節の始まりである

〈立春〉〈立夏〉〈立秋〉〈立冬〉

の前日は、すべて節分にあたるそうです。


季節の変わり目は、昔から、

「邪気が発生しやすい」「鬼や魔物が出やすい」とされ、

邪気や鬼を祓うために豆まきが行わるようになったとのこと。

 

みなさまは“豆まき”を行っていますでしょうか?
私の家は、毎年欠かさず行っています。


ただし、その掛け声は一般的なものとは少し違っていて

「福は内、鬼も内」

と大声で言って豆を撒いています。

 

私ね、思うんです。

もしも世の中に鬼が存在するならば、

すべての鬼が、悪い鬼とは限らないのではないかと。

 

それに、

こちらの対応次第では、悪い鬼が改心することだって、あるかもしれません。

 

【鬼の目にも涙】

 

まったくその通りだと思います。

 

どんなに冷酷で無慈悲な者でも、

何かがきっかけで慈悲の心を感じられるようになるかもしれないのです。

だから、「鬼も内」に。

 

そして、あまり表立って誰かに話したことはありませんが、

鬼という存在は、本当はいるのだと思っています。

現代に生きる私達の目には見えなくなってしまったけれど、本当は存在していると思うのですよね。

先人達が生きた大昔の時代には、きっと見えていたはずです。

(その証拠に、昔の画家が描いた鬼の絵や、日本各地のお祭り等で伝承されている鬼の姿はみんな似通っていますよね)

 

考えてもみてください。

今からすこしだけ昔の、江戸時代の頃には、東京のいたるところから富士山がきれいに見えていたのですよ。

歌川広重の描いた「東京百景画」にも、

東京のさまざまな場所から富士山が見える光景が描かれています。

それが今では、ほとんど見えない。

建築の近代化や空気汚染など様々な原因があるにせよ、

富士山が見えない、見ようともしていない現代の東京になっているのです。

 

本当は「在る」ものが見えない。見ようとも思っていない。

その状況というのは、

鬼や富士山のことに限らず、人の心や行いにも通じるものがあるのではないでしょうか。

 

節分の夜、豆まきをされるなら、

どこかに鬼がひそんでいないか、心の目で探してみてください。

 

今まで気づかなかった鬼の存在に気づくかもしれません。

 

 

 

 

本音を言うと、私は日々大変いそがしい身なので、本当は鬼の手も借りたい!のですけどね。鬼さん、どこかな〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 


 

 

 

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